きっかけは些細なこと

同人誌を始めたのは、本当に些細なことからです。

 

「変な本を見つけたよ」という友人の手にあったものが、同人誌でした。

 

私が学生時代、まだ地元に小さな交流会が築かれていたころでした。

漫画が好きだったのですぐにはまり込み、イベントに赴き、良くも悪くも驚きました。

すぐにこれが「許されるものではないんだろうな」とは察しました。(18禁もありましたから)

 

ただ、「こんなに漫画が好きな人がたくさんいる!」と感動したことは忘れません。

 

偶然話をしたサークルさんに誘われて、

参加資格を満たせる年齢まで先輩に弟子入りしていました。

 

弟子入り。

 

おそらく珍しい経緯ではないでしょうか。

何をやったかは適当ですが、とりあえず設営、店番と頒布の売り子。

その代りに先輩からサークルとしてやっていくに当たり気構えやマーケットの見方、

漫画の描き方など基礎的なことを教えてもらいました。

 

緩い時代のいい思い出です。私はとても幸運でした。

 

その方とも「ジャンルが同じだったから話し相手になってよ」という理由で

島の中に入れてもらい、先輩というより、年の離れた友達のような感覚でした。

 

当時は漫画を描いていました。

売れなくても、好きなことをできる二次創作の世界が好きで

やめるなんて考えてもいませんでした。(今もですが)

 

当然、まだ幼い私でしたから不手際も多く、自業自得でつらい思いもしましたが、

それでも二次創作をやりたくて喰らいついていく気持ちではいました。

つらくて苦しくても、「好きなことを発表できる」というご褒美が待っていたからです。

 

私が大人になり、己の天井を知るまでは。

 

アニメーターの先生を仰いで受けた教育は確かでした。

しかし、私自身の腕は上がらず、何を書いても満足いかず、悩むことが多くなりました。

大好きだった二次創作も業務的になり、白い原稿用紙を憂鬱な気分で見つめることも増えました。

 

「私は、絵での表現は限界があるのではないか?」

 

悲しいかな受け入れなければならない真実でした。

それを天秤にかけたのが、2008年発行の「Pale Moon Dipper」シリーズです。

 

あの本は実は漫画版があり、簡潔にまとめたものが二冊存在していました。

 

「それを文字で書いたら、どうなるだろうか?」

 

私は幸いにも小説も独学で勉強していたので、拙いながら基礎はありました。

上巻はファルロスコミュ、下巻は綾時コミュと使い分け、フラグだけ同じにして

思う存分描き込み、印刷してみました。せっかくなので頒布もしました。

 

想像以上の反響があったときは驚いたものです。

 

はた目から見たら売れたことが動機に見えますが、

私は売れたことが嬉しかったわけではありません。

 

完成した分厚い本を見て、

「私は、こんなにたくさんのことを伝えたかったんだ」、と驚き、同時に

「文字なら、私がやりたかったことができるんだ」と確信したからです。

 

絵では表せない、表したかった瞬間の表現、あいまいな感情表現、

キャラクターの個性やバトルや何とも言えない雰囲気まで

文字の上なら何もかもが可能だったときの歓喜といったらありません。

 

以後、私は二次創作をすべて文字で行い、絵を描くことから主軸をずらしました。

 

向き不向きを見つけるためにいろいろな道を歩んできましたが、まんざら悪くもありません。

 

二次創作はジャンルの変わり目が縁の切れ目のような世界です。

その中でも、ジャンルが変わっても気が合えば手に取っていただいて、

読んでいただけるような本を目指して、頑張ります。

 

先輩には謝らなくてはなりません。

 

せっかく教えていただいた売り上げのためのマーケティングを、まったく無視して活動しております。

 

それだけ、ちょっと気にはなっています。