それくらいの中二病

空想の世界を創作する、ということが当たり前に育ってきましたが、順調ではありませんでした。

学生時代はいわゆる指輪物語のようなファンタジー世界を作り、箱庭遊びをしていました。

 

なにげない世界観を、キャラクターを作っては同好の友人と交換し合う遊びです。

当時はそれで満足していました。

 

私が何冊も本を作るようになりどっぷり創作の世界にはまるまで

拗れた道を歩みだしたのにはおそらくここに起因するものがあります。

 

私には「コンテストで落書きに絵を描けば優勝、詩集募集で一言書けば優勝する」という

ふたりの友人がいました。

 

妬んでいたわけではありませんが、「あのふたりは天才だけど東雲さんは……」と

常に比べられる環境にいたので、能力があることがうらやましいとは思っていました。

 

それでも、彼女たちを嫌いにはなれませんでした。

 

しかし、目が覚めたのは一瞬でした。

私が「この新キャラの身長は190でー」とまた新しい中二病キャラクターを制作していたときのこと。

 

絵を描く子も、文字を書く子も、すべてのキャラクターのデザインを変更すると言いだし、

「全キャラ2メートル」と言いだしたのです。

 

まって。

 

「まて、でかすぎやしないか??」

 

内心思ったそれがきっかけです。

 

「私のキャラクター観、世界観はおかしい?」という疑問から資料を集め始め、

読む漫画も振り仮名をふらないものに切り替え、ゲームもサスペンスやSF調など

お堅い分野で世の中の常識を知りました。

 

私は、どこまで中二なんだと。

 

そこですべての設定を破棄し、まったく新しい世界を作ることにしました。

 

彼女たちがいない世界で。

 

出来上がったものは拙いものでしたが、当時の私にしては革新的でした。

「舞台は現代」という設定ですべてのキャラクターを無駄なく配置し、

ストーリーもそれなりに作りました。(今からいうと充分中二ですが)

 

自分だけの箱庭だった創作を「見せるための創作」への転換です。

 

それは自分のために作っていたころより楽しく、とても充実したひとときでした。

ふたりの天才の友達に見合う自分になりたくて、一生懸命でした。

自己満足しているころよりもとてもとても、楽しかった。

 

完成させた作品を見せたふたりの友人は顔色を変えてしまいました。

なんて言われたと思います?

 

「おまえが私たちの下で悔しい顔してるのが楽しみだったのに!!」

 

少し立ち位置が違っただけで、友情とは程遠い言葉を聞いてしまい、

以後私はつるむことをやめました。ショックでした。

 

私の不幸を望む友人と、楽しい創作の時間と。

取捨選択するなら、迷いはありませんでした。

 

それから私が信じるのは今も昔も、「形にしたもの」だけです。

 

どんな妄言も形にできなければ妄言どまりです。

どんな萌えも感覚で共有したくありません。

 

創作したいという人間をたくさん見てきました。

作れた人間は数えるほどもいません。

 

どんな形でも構わないから

すべては「作品」で語ってほしい。

 

私も、語ることができるような作品をいつか仕上げたいものです。

そのためには、多少苦しい思いをしてもかまわない。

 

もちろん、楽に越したことはないけれど。

 

それだけが、私の望みです。